[十六国(304〜439)]
⇒十六国(前趙,後趙,成漢,前涼,前燕,前秦,後秦,後涼,後燕,西秦,南燕,南涼,北涼,西涼,,北燕
⇒十六国以外(西燕,仇池,,冉魏,翟魏,段部,宇文部,
[南涼(397〜414)]
禿髪樹機能…禿髪思復鞬…烈祖(禿髪烏孤)−康王(禿髪利鹿孤)−景王(禿髪ジョク檀)
禿髪烏孤(?〜399)
  南涼の初代烈祖武王。在位397〜399。河西の人。鮮卑禿髪部の出身。禿髪部は拓跋部の支流という。禿髪思復鞬の子。首長の家の生まれで、父の代から強盛になった。後涼の呂光に仕えて、麟嘉六年(394)には河西鮮卑大都統・広武県侯に上った。鮮卑の乙弗部・折掘部を破って、廉川堡に都をおいた。広武郡公に改封された。龍飛二年(397)、後涼から自立して、大単于・西平王を称した。翌年、羌族の首長の梁飢が西平を侵犯したので、これを討ち、羌胡数万を服属させた。これによって武威王と改称した。太初三年(399)、楽都に都を遷した。同年、酒に酔って落馬して負傷した。「呂光父子を喜ばせたな」といって笑っていたが、その傷がもとで没した。

禿髪利鹿孤(?〜402)
  南涼の二代康王。在位399〜402。禿髪思復鞬の子。兄の禿髪烏孤が立つと、驃騎大将軍・西平公となり、安夷に鎮した。涼州牧に進んで、西平に鎮した。太初三年(399)、禿髪烏孤が没すると、位を継ぎ、西平に遷都した。建和二年(401)、帝を称そうと欲したが、群臣に諫められてあきらめ、河西王を称した。後涼の呂隆が北涼の沮渠蒙遜に攻められて援軍を求めてきたので、弟の禿髪ジョク
※1檀を遣わして救援させた。国政・軍事の枢機は弟に委ねた。
禿髪ジョク
※1(?〜414)
  南涼の三代景王。在位402〜414。禿髪思復鞬の子。兄の禿髪烏孤が立つと、車騎大将軍・広武公となり、西平に鎮した。禿髪利鹿孤が立つと、都督中外諸軍事・涼州牧・録尚書事となり、国政・軍事の枢機はかれが決した。建和三年(402)、利鹿孤の跡を継ぎ、涼王と改称し、楽都に遷都した。弘昌三年(404)、後秦の姚興に迫られて、年号を去り、後秦に藩属した。姚興より涼州刺史に任ぜられ、姑臧に鎮した。嘉平三年(410)、騎兵五万を率いて北涼を攻めたが、ことごとく敗れた。七年(414)、鮮卑乙弗部が叛いたので、これを討ったが、機に乗じて西秦の乞伏熾磐が楽都を落としたため、西秦に降伏した。のちに熾磐の手により毒殺された。

[註]
1.ジョク=ジョク


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