395 | 乙未 | 太元20 | 登国10 | 西秦の乞伏乾帰が天水の姜乳を討ったが、敗れた。 後燕の太子慕容宝が北魏を攻めたが、参合陂で大敗す。 呂光が西秦を攻めた。 河西の鮮卑禿髪烏孤が廉川堡に都を置いた。 | テオドシウス帝(位379-395)崩じ、ローマ帝国が東西に分裂した。 |
396 | 丙申 | 太元21 | 孝武帝(位372-396)崩じ、子の司馬徳宗立つ(安帝)。皇弟司馬徳文・皇叔司馬道子が輔政にあたった。 会稽王司馬道子と侍中王国宝が政治を専断した。 | 登国11 皇始1 | 後燕の慕容垂(位384-396)が北魏を攻め、平城に入ったが、病に倒れて帰途に没した。太子の慕容宝が立つ。 呂光が天王を称し、国号を大涼とす(後涼)。 拓跋珪が天子の旌旗を掲げ、皇始と改元した。魏軍が後燕を攻め、晋陽を奪った。さらに常山を取った。北魏の遼西公賀頼盧・東平公拓跋儀が鄴を攻めた。 | |
397 | 丁酉 | 隆安1 | 王恭・殷仲堪が王国宝ら君側の奸を除く名分で起兵した。司馬道子が王国宝を誅し、王緒を斬市に処したので、王恭らは兵を退いた。 司徒左長史王廞が王恭を討とうとし、子の王泰を遣わした。劉牢之が王泰を斬り、また曲阿で王廞を破った。 | 皇始2 | 後燕の慕容徳が北魏の賀頼盧・拓跋儀を破った。 後涼の呂光が西秦の乞伏乾帰を討った。 拓跋珪が信都を攻めて抜けず、慕容宝の反攻を受けて敗走した。魏軍は慕容宝が中山に帰還するところを討ち、これを大破した。魏軍は中山を囲んだ。 趙王慕容麟が慕容宝を弑殺しようとして失敗し、西山に逃げて丁零の余衆に依った。 慕容宝が逃亡し、無主となった中山を開封公慕容詳らが守り、魏軍をはばんだ。北魏は中山の囲みを解いた。 張掖盧水の匈奴沮渠蒙遜が後涼に叛いた。後涼の呂纂が沮渠蒙遜を忽谷で破った。沮渠蒙遜らは建康太守段業を大都督・竜驤大将軍・涼州牧・建康公に擁立した(北涼)。呂纂は段業を討ったが勝てなかった。 慕容詳が中山で帝を称したが、奢淫暴虐であったので、趙王慕容麟が迎えられて、慕容詳は殺された。慕容麟は帝を称した。 拓跋珪率いる魏軍は混乱する後燕を破って、信都を奪い、燕都・中山を抜いた。慕容宝は龍城に遷り、慕容徳に鄴を守らせた。 禿髪烏孤、後涼から自立して、大単于・西平王を称した(南涼)。 | |
398 | 戊戌 | 隆安2 | 王恭・殷仲堪が再び起兵した。王恭の部将劉牢之が王恭を殺したので、北府兵は退いた。また朝廷が殷仲堪の部将楊佺期・桓玄を官爵で買収したので、西府兵も退いた。 司馬道子が黄鉞を加えられ、子の司馬元顕が征討都督となった。 五斗米道の首領孫泰が起兵を謀って捕殺された。甥の孫恩が海に逃れた(孫恩の乱)。 | 天興1 | 慕容徳、鄴から滑台に遷り、のち燕王を称した(南燕)。 後燕の慕容宝(位396-398)が頓丘王の蘭汗に殺された。慕容宝の子の慕容盛が蘭汗を殺して、帝を称した。 拓跋珪が平城に遷都し、帝を称した(道武帝)。 南涼の禿髪烏孤が武威王と改号した。 楊盛が北魏に遣使し、仇池王に封ぜられた。 | |
399 | 己亥 | 隆安3 | 後秦が洛陽を攻めたので、河南太守辛恭靖が百日にわたって固守奮戦した。楊佺期が北魏に援軍を求めたが間に合わず、洛陽を失陥した。 孫恩が起兵して会稽・呉郡など八郡を攻め下した。謝琰・劉牢之らが孫恩を攻め、孫恩再び海に逃れた。 桓玄が荊州四郡の都督を加えられた。桓玄は江陵を攻め、殷仲堪(?-399)・楊佺期(?-399)を敗死させた。 | 天興2 | 禿髪烏孤が楽都に遷った。 北魏が高車を大いに破った。 北魏が五経博士を置いた。 段業が涼王を称した。 後梁の呂紹・呂纂が北涼を攻めたので、段業は南涼の禿髪利鹿孤・楊軌の援軍を得て撃退した。 南涼の禿髪烏孤(位397-399)が没し、弟の禿髪利鹿孤立ち、西平に遷った。 南燕の慕容徳が広固を取って都城とした。 後秦が東晋の洛陽を奪い、淮水・漢水以北の諸城の多くを降した。 後涼の呂光(位386-399)が没し、子の呂紹(位399)が継いだが、庶兄の呂纂が位を奪って天王を称した。 法顕、長安から出立し、経典を求めてインドに向かった。 | 林邑王范達が日南・九真を陥し、交趾を攻めた。 |
400 | 庚子 | 隆安4 | 桓玄が都督荊・司・雍・秦・梁・益・寧・江八州及揚・豫八郡諸軍事となり、荊・江二州の刺史を領した。 孫恩が会稽・臨海を攻め、謝琰を殺したが、劉牢之に敗れ、また海に入った。 王珣(349-400) | 天興3 | 後燕の慕容盛が自ら庶人天王と貶号した。 乞伏乾帰が苑川に遷都した。 北涼の段業が李暠を敦煌太守に任じた。李暠が涼公を称した(西涼)。 後秦が西秦を破り、乞伏乾帰は姚興に臣属した。 酒泉太守の王徳が北涼に叛き、河州刺史を自称した。沮渠蒙遜が王徳を攻め下した。 南燕の慕容徳が広固で帝を称した。 | 吐谷渾の視羆が没し、弟の烏紇堤が立った。 |