曹操「精列」



     精 列

厥初生
造化之陶物
莫不有終期
莫不有終期
聖賢不能免
何為懷此憂
願螭龍之駕
思想崑崙居
思想崑崙居
見欺於迂怪
志意在蓬莱
志意在蓬莱
周孔聖徂落
會稽以墳丘
會稽以墳丘
陶陶誰能度
君子以弗憂
年之暮奈何
時過時來微
厥初に生ずるや
造化のつくりし物
終わるとき有らざるはなし
終わるとき有らざるなきは
聖賢も免かるあたわず
何すれぞ此の憂いを懐かん
願わくは螭龍に之れ駕し
崑崙の居を思い想う
崑崙の居を思い想うに
迂く怪しきに欺かれん
志意は蓬莱にあり
志意は蓬莱にあれど
周孔は聖なるに徂落す
会稽は墳丘をもってす
会稽は墳丘をもって
陶陶と誰か度すあたわん
君子は憂いなきをもってす
年の暮るるを奈何せん
時は過ぎ時は来たるや

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[解釈]
そのはじめに生まれたのは
自然のつくった物であるから
終わりのないものはない
必ず終わりがくるということでは
偉大な聖賢も例外とすることはできない
どうしてこういう心配をするものか
願わくはみずちに乗って
崑崙のすまいを訪れよう
崑崙のすまいを思いしたうが
遠くけわしいので(みずちを持たぬ我が身には)行けない
したうこころは蓬莱にあり
したうこころは蓬莱にあるけれど
周公や孔子のような聖人ですら亡くなってしまい
会稽が夏の禹王の墳丘となっているのだ(遠い蓬莱の地に行けはしない)
会稽の墳丘の巨大さをもってしても
私の憂鬱の巨大さを誰がはかれるというのか
君子はいらぬ心配をしないというが
自分の歳が暮年にさしかかるのをどうしたものか
こうして時は過ぎまた時はやってくるのだ

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[解説]
過ぎゆく歳月を嘆く詩。

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[参考文献]吉川幸次郎『三国志実録』(ちくま学芸文庫)


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