唐 武徳1 | 李淵が隋の恭帝(位617-618)から禅譲を受けて立つ(高祖)。国号は唐。 裴寂・劉文静が律令を修定した。 六月、李世民が尚書令となり、裴寂が右僕射となり、劉文静が納言となった。 李建成が皇太子となり、李世民が秦王となり、李元吉が斉王となった。 薛挙が涇州に来攻したので、李世民がこれをはばんだ。 李密が王世充に敗れて唐に帰順した。 十一月、黎陽の徐世勣に帰順を勧め、国姓の李を与えた。 十二月、李密(582-618)が東帰をはかり、中途に捕らえられて処刑された。 この年、唐朝は郡を廃して州を設け、太守を刺史に改めた。 王通(584-618) | 皇泰1 | 王世充らが東都洛陽に越王楊侗を擁立した。王世充は納言・鄭国公となった。 王世充らは宇文化及を恐れ、李密の罪を赦して魏国公に封じた。 九月、王世充が李密と偃師で戦い、李密を破った。 | 六月、宇文化及が黎陽にいたり、徐世勣を囲んだ。 七月、李密が宇文化及を破った。宇文化及は魏県に逃亡し、秦王浩を殺して帝を称した。 薛挙が没し、子の薛仁杲が継いだ。薛仁杲は李世民に敗れて降ったのち殺された。 呉興太守沈法興が江南十余郡を定め、江南道大総管を称す。 蕭銑が帝を称し、江陵を都とした。 竇建徳が国号を夏とす。 李軌、帝を称す。 朱粲が冠軍で帝を称す。 |