枕流亭・本館

中国の歴史人物の呼び名について




中国の歴史上の人物を扱うときに、基本の基本でありながら、意外と理解されていない人物の呼び名について触れてみよう と思います。
中国人の呼び名は、単純そうに見えて、ややこしいところがあるんですよね。
まあ、あまり自分も偉そうなことは言えないんで、数年前にはMLで恥をかいたことがあるくらいです。
筆者の知識も足りないこともありますし、とりあえず漢民族を中心に話をします。
できれば、少数民族についても触れたいですが、勉強が足りないので、今のところはご容赦を。

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■基本は姓+名だが
まず漢民族の名前の基本は、姓+名です。
「姓(せい)」は家の名で、先祖代々受け継がれる名前。「かばね」や「苗字(みょうじ)」と同じ。
「名」は特定の個人名です。
姓が先にきて、名が後に称される。
これは日本人のそれと同じですね。
何を当たり前のことを、と言うなかれ。
世界には、姓のない民族とか、親の名を子の姓にする民族とかいろいろいるからです。

しかし、これで日本人の慣習とまったく同じだったら、何も話すことはないんで、わざわざこうやって稿を立てるのも ちょっと感覚的に違うところが多いからなんです。それを以下につらつらと述べようと思います。


■姓について
漢民族の姓は基本的にひとつです。(これも当たり前といわれそうですが)
古代の春秋戦国ごろまでの時代においては、姓と「氏」の区別がありました。
例えば孔子は、姓が子、氏は孔、名は丘。屈原は、姓が熊、氏が屈、名は平といった具合。
後代になるとこの姓氏の区別はほとんどなくなり、氏をもって姓を称するようになります。
日本の古代でもこの経過は似てますよね。

姓には単姓という一文字の姓と、複姓という二文字の姓がありますが、単姓が圧倒的に多いです。
三文字以上の姓もありますが、これは漢民族以外の少数民族の姓です。突厥の阿史那の姓とか清朝の愛新覚羅の姓などは 歴史的に知られてますね。

中国の重要度の高い姓はおよそ三〇〇ほどです。
時代によって変動がありますが、趙・銭・孫・李・周・呉・鄭・劉・王・馮・陳・褚・衛・蒋・陸・沈・ 韓・楊・朱・秦・尤・許・何・呂・施・張・孔・曹・厳・華・金・魏・陶・謝・鄒・柏・竇・章・蘇・潘・葛・奚・範・彭・ 郎・魯・韋・昌・馬・苗・鳳・花・方・兪・任・袁・柳・鄷・鮑・史・唐・費・廉・岑・薛・雷・賀・倪・湯・滕・ 殷・羅・畢・郝・安・常・楽・皮・卞・斉・康・伍・余・元・顧・孟・黄・和・穆・蕭・尹・姚・邵・汪・毛・狄・ 米・貝・明・臧・伏・成・戴・談・宋・茅・龐・熊・紀・舒・屈・項・祝・董・梁・杜・阮・藍・賈・路・婁・江・ 童・鄭・顔・郭・梅・盛・林・刁・鍾・徐・駱・高・夏・蔡・田・樊・胡・霍・虞・万・管・盧・房・丁・白・司馬・ 欧陽・諸葛・公孫・…などが多いところ。
その中でも、とくに李・王・張・趙・劉の五姓の人間が多いです。現在、漢民族のおよそ三分の一は、この五大姓のどれ かを名乗っていると言われています。
地方差もあって、広東では梁・羅・頼姓が多く、江蘇では徐・朱姓が多く、福建では林姓の人間が多いなどの差異もあり ます。
ほかの漢民族の少数姓や少数民族の姓を合わせると、現在三〇〇〇程度(史書に残っているのは五六〇〇余)と言われて います。

ほかに漢民族の姓の制度で特徴的なことは、婚姻にかかわることで、「夫婦別姓」「同姓不婚」のふたつが有名です。

夫婦別姓は、婚姻した夫婦が別の苗字を名乗るということですね。結婚しても、夫婦どちらの姓も変わりません。
というか、結婚すると夫婦どちらかの姓を変えて同姓にしてしまう日本のような制度のほうが世界的にみて特異だという 話もありますが…。

同姓不婚とは、同じ姓を持つ男女が婚姻することはタブーということです。
日本では歌手の森進一さんと森昌子さんが結婚したなんてことがありましたが、中国ではこれは許されないことです。
近親婚と似た感覚の禁忌に触れたものとして捉えられてしまいます。
ただし、『春秋左氏伝』などに同姓の男女が婚姻した例があり、これも古代から一貫したタブーだったのか、異論のある ところですが。


■名について
漢民族の名は、現在は二文字が圧倒的に多いです。三文字以上の名は、まず少数民族から出たものと考えてよいです。
古くは漢民族の名は一文字が基本でした。しかし、人口が増えてくると、同姓同名の弊害が出てきました。これを区別 する必要から、前漢の中期ごろには二文字の名が増えてきました。前漢を簒奪した新の王莽が、その復古主義的信念から 「二名の禁」を発布したため、二文字の名はいったん禁絶されます。これが尾を引いて『三国志』の時代などは、一文字の名が 大半を占めているのです。南北朝時代になって、また再び二文字の名の傾向が現れます。隋唐を経て、宋代あたりになると、 二文字の名のほうが主流に取って代わってくるのです。
さて、名のことを「諱(いみな)」ということもあります。死者の生前の名と言う意味で、つまりは名と同一のものなの ですが、歴史書などではむしろこう書かれることが多いということを覚えておいてください。
漢民族の名に特徴的なことをいくつか挙げてみましょう。

i). 親子間の諱の一字継承はない
日本では、織田信秀の子が織田信長で、織田信長の子が織田信忠で、というふうに親の名の一文字を継承していくことが あります。しかし漢民族ではこれはタブーです。むしろ先祖代々まで遡って、同じ漢字を使った人物がいないことが調べられ た上で名づけられるほどです。ただし、姓と宗族を同じくした同世代に属する兄弟や従兄弟や又従兄弟たちの間では、積極的 に共通の一文字を用いて名づけられるということがあります。

ii). 君主の諱を避ける(忌諱)
中国では、皇帝や王といった君主の諱に使われた文字は、新しく生まれた子供の命名に使うことを避けます。また、新し い君主が登場したとき、臣下は君主の諱を避けるため改名するといったこともあります。
唐の李勣という人は、もとの名を徐世勣といったのですが、唐の国姓の「李」を賜って改姓し、また太宗・李世民の諱を はばかって世の文字を除いたといいます。日本では賜姓・賜諱ともにありますが、中国では賜姓はあっても、賜諱はありませ ん。
この忌諱は徹底していて、歴史書の中の人名まで変えてしまうほどです。
陳寿の正史『三国志』の中に、呉の韋曜という人物が出てきますが、本当の名前は韋昭ということが分かっています。 なぜ韋曜に変えられたかというと、『三国志』が書かれたのは晋の時代なので、晋の文帝・司馬昭の諱を避けるためだったの です。
(追記:清の銭大マによると、正史『三国志』は呉の「張昭」にみられるように「昭」の字を 避諱しておらず、韋曜も韋昭の別名だった可能性があるとのことです。殷景仁さまのご指摘によります。深謝して訂正します。 2004.1.13)

iii). 名に数字が使われることがある。
とくに庶民の名に多いのですが、名に数字が使われることがあります。これは(男の)兄弟順を表していることもあり ますし、父母の年齢とかいう例もありますが、だいたいは「輩行」の数を表しています。輩行とは、姓と宗族を同じくした 男の兄弟や従兄弟や又従兄弟たちによる同世代集団の年齢順序を表す数です。
宗族内同世代集団共通の一文字に輩行の数を加えた二文字の名というのは、庶民の名にけっこう多いです。
ほかに庶民の名には、動物の名とか干支とかあだ名とかが使われていたりすることもあります。
日本の太郎・次郎と花子みたいな感覚でしょうか。

iv). 女性の名
漢民族の名には男女間の差が比較的少ないです。女性らしい名というのもあるにはあるのですが、男性名と思えるような 名を女性がつけていることもままあります。この点、かなりジェンダーレスなところもあります。
しかし歴史書において女性の名はあまり残されていません。とくに古代に遡るほど、その傾向はひどくなります。
上古には女性には名がなかったという説まで読んだことがあります。
「〜の女(むすめ)」「〜の妻」「〜の母」「〜夫人」といった表記がやたら多い。また「封号+姓」のような表記 も多いです。
殷末の妲己という女性は、「字+姓」の称ですし。春秋の夏姫という女性は、「婚家の姓+実家の姓」の称といった 具合。


さて、姓名の話をここまでしてきましたが、実は通常の会話において、この「姓+名」で呼びかけあうようなことは近代 以前の中国ではあまりありません。たとえば曹操のことを直接に曹操と呼びかけたり、劉備のことを劉備と呼びかけるとい う表現には他意を含むことになります。つまり日本語の呼び捨てよりさらにキツい、格下意識あるいは軽蔑を含んだ表現に なります。
だから皇帝が臣下を姓名で呼び捨てにするとか、戦場で敵将どうしが姓名を呼び捨てにしあうとかは、実に正しいこと なのです。(笑)
文章とか格式ばった文言では「姓+名」が用いられますが、それ以外の口語では別の呼び名をつかうのが対等な人間関係 の通常のありかたです。


■字について
士大夫以上の階層の人や官吏・官員、またその志望者などは、姓名のほかに、成人したときに「字(あざな)」という 通称をつけます。庶民はあまりつけません。女性でも身分の高い人はこれを持つことがあります。
通常は二十歳前後で自分でつけますが、もっと幼いときにつける場合もあります。

字(あざな)は、ふつう漢字二文字で、名に関連した意味をもつ漢字を含むことが多いです。
また孟・仲・叔・季という兄弟順を表す一文字を含むこともあります。
孟は長子、仲は次子、叔は三子、季は四子または末子を表します。
曹操、字は孟徳というと、長男ですし。孔丘、字は仲尼というと、次男ということになります。

実際に呼びかけるときは、「字」のみか、または「姓+字」で呼ぶことになります。
ちなみに「姓+名+字」の表記は、口語においても文語においても決してしません。
日本の小説などで、劉備玄徳とか諸葛亮孔明とか書いてあるのがたまにありますが、決してそんな呼びかたはしません。
ただし「姓+字+名」の順の表記はごくまれにあります。『史記』管晏列伝に「管仲夷吾」とありますが、これは姓が管、 名が夷吾、字が仲です(告白します。筆者はむかしこれを勘違いしていて恥かきました。字が一文字なんて珍しい ですものねえ;汗)。それにしたところで、姓と字と名をひとつづきで読むような呼びかたが通常の口語の会話 で出てくることはありません。
(追記:「姓+名+字」の表記は全くないわけではないという指摘を受けました。たとえば 『文選』の曹丕「典論」論文編では、姓名字を続けて表記しているそうです。お詫びして訂正します。2002.9.12)

ここまで説明すると、中国史小説を書きたい人が早合点して、
「そうか、対等の人間どうしで会話させるには字で呼びあわせればよいのか」と結論してしまいそうですが、 そう結論するのはまだ早いのです。
字で呼び合うには、そこそこ親密な間柄でないといけません。字で呼ぶということには、かなり馴れ馴れしいニュア ンスが含まれているからです。まあ親しい間でファースト・ネームを呼びあうときのあの感覚に近いですね。
それほど親しくないけど、対等に近い関係の場合は「姓+官位」とか「封号」とかで呼びあいます。
対等でない場合は、尊称で呼んだり、逆に呼び捨てたりします。

官位や封土などない、いやそもそも字をもたない庶民はどうなるのか?
これはケース・バイ・ケースでしょうね。「小〜」「老〜」「阿〜」みたいな現代中国語の感覚に近かったと思いま すが。


■小字について
「小字」は「小名」ともいい、幼名のことです。本人が幼い間だけ通用する名前ですね。
例えば魏の太祖・曹操の小字が阿瞞、梁の武帝・蕭衍の小字は練児、といった具合です。
これは身分が高いからあるとは限らない。むしろ庶民も積極的につけていたと思われます。
現代中国でもこの慣習は残っているようです。

この小字も、会話ではかなり馴れ馴れしい表現ですね。「〜ちゃん」くらいの感覚です。
『三国志』で、許攸(子遠)が曹操の小字を呼んでたわむれていたため、曹操に嫌われて最後には処刑されたなんて挿話が ありました。


■号について
いちおう「称号」や「封号」などとは区別して話をします。
「号」は「別号」「雅号」ともいいますが、これには一定の決まりはありません。身分が高くても必ず持たなければならな いわけでもないし、一人で複数の号を持っていてもかまわない。自分でつけても他人に貰っても構わない。長さも、二文字から 四文字くらいが普通ですが、長いのは九文字から三〇文字くらいまであります。まあ筆名(ペンネーム)とか隠居名とかあだ名 とかの総称と考えていただければいいです。
古代には、この号を持つ人はあまりいない(伝わっていないだけかもしれません)のですが、近世・近代に近づくほど、こ れを持つひとが増えてきます。
とくに文人や隠遁者がこの号を持ちたがる傾向にあります。「〜先生」とか「〜老人」とか。酔狂なものや趣味的なものも 多いですね。

ほかにも「法名」「法号」や「道名」があります。
僧侶や道士の号ですね。
例えば唐の玄奘は、本姓は陳、名は禕、法名が玄奘、法号を三蔵法師といいます。
楊貴妃なども、道名として楊太真と称したことがありますね。


■諡号について
「諡号(しごう)」は「諡(おくりな)」ともいい、死後に贈られる尊称(場合によっては卑称)のことです。
皇帝や王侯・功臣などに贈られます。
皇帝なら、文帝・武帝・恵帝・景帝・宣帝・光武帝・洪武帝・永楽帝・康熙帝・乾隆帝といった類のもの。
王侯なら、文王・武王・荘王・湣王・景公・襄公・桓公・閔公・武侯といったようなものです。
身分の高い人は、亡くなった後も諱を表記することがはばかられるので、諡号をもって通称とすることが歴史書で おこなわれます。

諡号については、詳しくは
http://www.toride.com/~fengchu/sigou/
のような専門サイトを見てください。


■廟号について
「廟号(びょうごう)」も、死後に与えられる尊称です。
漢民族は、古来から祖先祭祀をたいへん大切にしてきましたが、その祖先祭祀のための施設を祖廟とか宗廟とかいいます。
その廟に祀られたときの号を廟号といいます。
とくに天子(皇帝)の死後の祭祀は国家的な祭祀になるので、廟号をもって亡くなった天子本人の通称とすることがある のです。
高祖・太祖・世祖・太宗・中宗・玄宗・聖宗・粛宗・徳宗・神宗・穆宗といった類のものです。


■封号について
皇族や臣下が天子より領地を与えられて、王侯・列侯として封じられることがあります。
これをもって本人の号とすることがあります。
晋王・秦王・中山王・臨淄公・長沙郡公といった類のものです。


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