肢体不自由(車椅子)の立場から 「社会参加を阻むバリアと向き合って」

 私は小学校高学年より、体育の時間が苦痛になり、時には休みたいと思うようになりとても嫌でした。中学1年の夏休みに担任の先生の勧めもあり受診しましたが、その時には異常無しと診断されました。3年の秋に、自宅の階段からバランスを失って落ち気を失う事があり、再び大きな病院で1週間の精密検査を受け、進行性筋ジストロフィーと診断されました。お医者さんは、病名を私に伝えるか両親に相談せれたようですが、私はどんな結果でも知りたいと願っていました。それまで、どうして私だけ皆についていけなくなるのか、そのことの方がとてつもない不安で、思春期とのダブルパンチで耐えられなくなり救いを求めていたのです。ですから、病名を聞いた時には、これは私にはどうしょうも無い事なんだと、少しは肩の荷が降りた気分でした。

 当時、希望も目標の無い私でしたが、高校へは将来車椅子を使うようになっても、臨床検査技師なら出来るかもと考え、化学科を受験しました。しかし、結果は不合格。納得のいかない担任の先生が問い合わせてくださると、学科試験ではなく、化学の実験中に危険があれば責任が持てないとの理由からと聞かされ、すぐには悔しさがこみ上げない性格の私のようですが、さすがにあとからショック落胆したものでした。
そして、滑り止めに受けていた高校へ電車通学をするようになりました。 駅や学校の階段も転ばないように神経を集中して歩くのですが、こちらが注意していても朝のラッシュ時などは人がぶつかってこないか怖くて怖くて仕方がありませんでした。私は、少しバランスをくずしてしまうと上半身両手も思うように動かないので、倒れたら最後再び立ち上がるのは大変なことなんです。それにそのことがきっかけで、自信を無くしてしまい、それまで出来ていたことも出来なくなってしまいます。高校生活はあらゆる不安との戦いの日々でした。その後、高校を出て一人で暮らしていた頃の私は、椅子を勧められても「ありがとう」と感謝はしても、もし座ってしまえば立ち上がれるのが大変なので、かえって立っている方が座るより楽なこともありました。電車も揺れるので、立つか座るか悩むことがよくありましたが、立っていることを選択することが多かったように思います。バスの利用は、乗り降りの段差がきつく、ほとんど諦めていました。道路は繋がっていても、私のような障害を持つ人は至る所でバリアを感じています。そのたびに、悲しくもなります。希望が持てなくなるのです。

 私は、だんだん筋肉が衰えてしまう病気ですが、幸いに進行は遅いようです。でもその分真綿で首を絞められているような気分も時にはします。自分で出来る事は頑張ってやろうと思うのですが、いつか出来なくなるのです。そんな自分や環境が受け入れられないと葛藤し、ジレンマをストレスに感じながら少しずつ自分を受け入れようとするのですが、難しく感じることが多くなり、一生懸命頑張っても出来なくなるのなら、いっそ家でテレビでも見て寝て過ごした方がいいやと、駄目な自分になってしまいます。勇気を出して、出かけようと思っても、まず、最低限、段差はないか、エレベーターや自動ドア、障害者用トイレは大丈夫か、などと考えて、これらの条件が整っていないと、もう出かける事を躊躇してしまうのです。

 そんな葛藤を何度も繰り返し、どうしようもなくなった時、ようやく障害者であることを自分自身受け入れることが出来たのかもしれません。そんな時期に、大田市の身体障害者福祉協会の仲間に入れていただき、日帰りのバス旅行に参加することにしました。私は、母と一緒に参加し自家用車でバスの後をついて行くつもりでしたが、スタッフの方が、「負ぶって乗せて上げます。」と言われ、迷いましたが甘えることにして、10数ぶりにバスに乗りました。バスの車窓から見る景色は、バスに乗ることをずいぶん前から諦めていた私にはとても感激するものでした。参加しておられる障害者の方々といろんな話で盛り上がり、元気を貰った気がしました。それ以降、毎年楽しみに参加させていただいています。この出会いをきっかけとして、誘われる行事などへは出来る限り出かけて行くようになりました。そして、電動車椅子に乗るようになった私は、風を切って走行することで、心の開放感を得て現在では、「車椅子暴走族」となりました。
 また、この頃パソコンも購入した私は、メール交信を通して多くの方々から心の栄養をいただき、自分の殻に閉じ篭らず、自然と前向きな気持ちなれることが非常に嬉しく思いました。そして、パソコンを始めて1年以内に、夢であった自分のホームページも作り、インターネットを通じて沢山の方々と交流するうち、ホームページの掲示板で偶然知り合った顔も知らない人達との話が盛り上がり、浜田や広島から私の家に集まっていただいたりと、予期せぬ交流の広がりに喜んでいます。
 私がパソコンを始めた時に、「ぎんぎんネット」というボランティアグループの方々に大変お世話になりました。私も仲間に入れていただき、メール交換しながらここでも元気をもらいました。また、いろいろな情報も教えていただけますので、福祉関係のメーリングリストに入れてもらったり、全国組織の障害者SOHO支援グループにも参加しています。
 パソコンは、障害者の社会参加に大きな貢献をしてくれています。障害者にとって、なくてはならないものになってきています。文字を読んでくれたり、喋ってくれたり、それ以外にも非常に便利な使い方があると思います。パソコンへの挑戦が、私自身の社会参加に夢と希望を与えてくれていることは言うまでもないことでしょう。

 今の世の中、ハード面ではバリアばかりで、一人では何も出来ないのが現実でもありますが、それでも、トイレ昇降機、座椅子型昇降機、電動ベット、電動車椅子、リフト付き自動車など沢山の福祉機器を最大限利用することで、自立を目指した生活を送っています。同時にパソコンを利用し、全国の仲間と交流することで、励ましあったりもしています。誰もが心のバリアを無くして、障害者の立場にたって考えてみていただき、助け合うことが出来れば、それが一番優しく暖かい社会だと思います。小学校などの福祉教育の一環として、車椅子使用者として招かれ訪問する時、本当は引っ込み思案で私のがらではないのですが、私達障害者を理解してもらう為なら喜んで私も役に立ちたいと思います。子供さん方の純粋な質問は楽しいです。素直に困っている人には助けてあげようとする心が芽生え それが非常に嬉しいし、思いやりやゆとりのある社会になって欲しいです。弱い障害者の立場から特にそう願ってます。

 これからは、ユニバーサルデザインを考えた、誰もが使いやすい商品の開発や環境整備に期待しています。バリアフリーを考える時、要は障害者に使いやすいということは、高齢者や子供はもちろんのこと、誰もが使いやすい、住み易い社会なんだと思います。バリアフリーの推進は、障害者のためだけでなく、みんなのためなんだと考え、少しずつでもいいから実行されたら良いと願っています。そしてパソコンを駆使して「自分の住んでいるここなら、バリアフリーで大丈夫だよ。案内するよ。一緒に行こう」と言い合える仲間を全国に作りたいし、地元障害者のパソコン仲間を増やし、仲間と集まる場所をつくり、SOHOだって夢ではないと思えるようになり、その実現に向ってボランティアの皆さんをはじめ、多くの方々とのネットワークを広げていけたら出来たらいいなと思います。


平成12年度 社会参加研究フォーラム 
主催 : 島根県 島根県障害者社会参加推進センター
平成13年1月28日  (松江)いきいきプラザ島根  
シンポジュームテーマ: 障害者の社会参加を阻むバリア
肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、内部障害、知的障害、精神障害の立場から発言。