枕流亭

信州行の記録

以下は、98年の9月に信州へ行ったときの感想です。




★強行軍でした。公共交通機関もつかったけど、ひたすら足でかせいで回った印象が強いです。4泊5日で50〜60キロくらいは歩いたのではないでしょうか。坂も多かったし、ああ足の裏のマメが痛い。
★道を歩いていると、やけに道祖神と馬頭観音が目につきました。愛媛にはほとんど見ない代物なので、印象に残ったものです。
★象山地下壕(松代大本営イ号倉庫)は、「凄い」のひとことです。人の造ったものについて、これだけあきれ、かつ悪い意味で感心したのは、久方ぶりのことでしょう。おそらく、中国行以来ではないでしょうか。総延長6300メートル、公開部分だけで500メートルある。同行のY氏も「日本にもこんなところがあるとは…」と漏らしていたので、たぶん同様の感想をもったものと思います。戦争末期、本土と朝鮮から300万人が動員され、強制連行された朝鮮の人々の中からは多数の死者が出ました。ちなみに仮皇居などのある舞鶴山地下壕(松代大本営ロ号倉庫)は、気象庁の地震観測所があるとかで公開されていません。かりそめとはいえ、天皇の「御座所」を荒らされたくないとの思惑があったのではないでしょうか。
★この旅の本来の目的は、武田氏や真田氏などの戦国史の遺跡を巡るというコンセプトでした。まあ、予想通り脇道に逸れまくりましたけど。思うに、武田信玄・勝頼にしろ真田昌幸・信繁(幸村)にしろ、結局悲劇のテーマなのですね。日本に限らず戦記ものには、いくつかのファクターがあって、たとえば
1.読者大衆の判官びいきをさそうキャラクター
2.強大な敵と対抗する痛快さと困難さ
3.悲劇性
なんかが挙げられると思います。『三国志演義』も『水滸伝』も『アーサー王物語』も『平家物語』も『太平記』もすべてそうです。でも、物語としての歴史って虚構だらけなんですな。『真田軍記』でいうなら、読者大衆はみんな幸村がすごいと思ってるけど、それは局部的な戦闘においてであって、父昌幸や兄信之の政治感覚には敵わない。
∇そういう「物語としての歴史」をどう見るべきでしょう?

★さて、信州で僕がどのようなところをまわってきたか。紹介しましょう。
∇山本勘助(道鬼、晴幸とも呼ぶ)の墓
∇諸角豊後守の墓
∇八幡原公園(川中島古戦場跡)
∇典厩寺(川中島合戦における武田典厩信繁(信玄の弟)の本陣在所)
∇長国寺(松代藩主墓所)
∇大本営資料館時代の館
∇松代象山地下壕(戦争末期、本土決戦を想定してつくられた松代大本営の壕のひとつ)
∇真田氏宝物館
∇松代城(川中島合戦当時の海津城、江戸期以降は松代藩10万石の真田氏居城)
∇妻女山(川中島合戦における上杉謙信の本陣在所)
∇善光寺(牛に引かれて善光寺参り…の善光寺)
(以上、長野市)
∇戸石城趾(武田信玄生涯二度の敗戦の一、「戸石崩れ」の舞台)
∇真田氏記念公園(真田氏発祥の地、真田三代のレリーフ)
∇真田氏館趾
∇真田氏歴史館
∇真田氏本城(幸隆以前の真田氏本城)
∇長谷寺(真田幸隆夫妻の墓)
∇信綱寺(長篠で戦死した真田信綱を祀った寺)
(以上、小県郡真田町)
∇上田原古戦場(武田信玄生涯二度の敗戦の一)
∇生島足島神社
∇別所温泉(「大師湯」に入る。硫黄臭かった)
∇上田城(真田昌幸創建、江戸期以降、仙石、松平氏の居城)
∇上田市立博物館
(以上、上田市)
∇懐古園(小諸城)
∇島崎藤村記念館(小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ「千曲川旅情のうた」)
(以上、小諸市)
∇旧開智学校(明治初期に建てられたふっるーい校舎)
∇松本城
∇日本民俗資料館
(以上、松本市)



同行Y氏による信州遠征記録−僕の文より面白い−