苦 寒 行 | |
北上太行山
艱哉何巍巍 羊腸坂詰屈 車輪爲之摧 樹木何蕭瑟 北風聲正悲 熊羆我對蹲 虎豹夾路啼 谿谷少人民 雪落何霏霏 延頚長歎息 遠行多所懐 我心何怫鬱 思欲一東歸 水深橋梁絶 中路正徘徊 迷惑失故路 薄暮無宿棲 行行日己遠 人馬同時飢 擔嚢行取薪 斧冰持作糜 悲彼東山詩 悠悠令我哀 |
北のかた太行山を上れば
艱きかな 何ぞ巍巍たる 羊腸の坂 詰屈し 車輪 之が為に摧く 樹木 何ぞ蕭瑟たる 北風 声正に悲し 熊羆 我に対して蹲まり 虎豹 路を夾んで啼く 谿谷 人民少なく 雪落つること 何ぞ霏霏たる 頚を延ばして長く歎息し 遠行して懐う所多し 我が心 何ぞ怫鬱たる 一たび東帰せんと思欲す 水深くして橋梁絶え 中路 正に徘徊す 迷惑して故路を失い 薄暮 宿棲無し 行き行きて日己に遠く 人馬時を同じくして飢う 嚢を担い 行きて薪を取り 冰を斧りて持て糜を作る 彼の東山の詩を悲しみ 悠悠として我を哀しましむ |
---- [解釈] 北のかた太行山を登ると 道は峻険で山々は高くそびえ立つ 羊の腸のように坂は曲がりくねり 兵車の車輪はこのため砕けた 樹木は蕭然として佇立し 北風の声はまさにうら悲しい 熊や羆がわたしに対してうずくまり 虎や豹が道の両側から吠えかかる 渓谷の地に住民は少なく 雪が落ちるさまは間断ない 首を伸ばして長いため息をもらし 遠方までの軍旅に感慨は深い わたしの心はなんと鬱屈としているのだろう ひとたび東に帰ろうかとさえ思う 川の水が深くて橋もなく 道を求めて彷徨した 迷ったあげくもとの道を見失い 薄暮になっても宿とするところがない 行軍を重ねて日にちも遠く過ぎ去り 人も馬も時を同じくして飢えてしまった 袋を背負っていって薪を取り 氷を斧で斬り割って粥を作る 周公の「東山」※の詩を思って悲しみ 遠くはるかな情景が私を哀しませる ※[東山]…周の成王の時代、周公旦が行った東征をたたえた詩。 | |
---- [解説] 建安十一年(206)の高幹討伐において、冬の太行山を越える軍の征旅の苦難を歌った詩といわれます。または旅人の悲しみを歌った詩ともいわれます。ここでは前者の解釈を取りました。 | |
---- [参考文献]松枝茂夫編『中国名詩選上』(岩波文庫) 吉川幸次郎『三国志実録』(ちくま学芸文庫) |