枕流亭・本館

『鳥姫伝』を読む


 久々に面白い中華ファンタジーを読みました。
 バリー・ヒューガート『鳥姫伝』(ハヤカワ文庫)です。原題は"Bridge of Birds",Barry Hughart,1984というそうです。
 陸十牛くんと李高老師の人参を求めての荒唐無稽な冒険譚。
 ファンタジーそのものとしても十二分に楽しめる傑作ですが、この話、中華ファンとしてはもうひとつ実に楽しい点があるんです。
 細をうがって中華風の世界を構成しながら、時代考証がまったくデタラメでナンセンスであること。いちおう唐代が舞台らしいんですが、その時代にはありえないオーパーツな事物がてんこもり。
 解説に論及されているとおり、"A Novel of an Ancient China That Never Was"(そんなふうであったはずのない古代中国の物語)と原著の副題が打たれているので、作者がおおかた「分かってやっている」のは間違いないのですが、それにしてもよく作ってあります。作者はたぶん四大奇書のファンなんだろうな。いやあ感心します。
 「著者が意図したものとは異なる視点から読んで楽しめるもの」がトンデモの定義らしいので、それとは少し違うのでしょうが、やはりツッコミを入れながら読むのは楽しい。
 ということで、無粋なツッコミの表を作ってみました。ああっ、そんなあきれ顔で見ないで下さい。たまにはこういうのもいいでしょう?許してっ!
 ネタバレだらけなので、本編を未読のかたは以下を読まずにここで引き返されるよう、お勧めします。本編を必ず読みましょう。ではでは。
コラムページのトップへもどる
ホームへもどる

引用ツッコミのポイント
13ぼくの姓は陸、名は羽という、だが茶経の作者と誤解される気はないのちに明らかになるが、この小説の舞台は初唐のころ七世紀。『茶経』の作者の陸羽は、八世紀の人だから、語り手の陸十牛くんが言及できるはずはない。
16北京へ運び唐代に北京と称される都はない。唐の都は長安。北平が北京と改称されたのは明の永楽元年(1403)。
16四大元素のうち当時の中国は五行説なので、四大元素の考え方はない。原本を確認しないと分からないが、もしかしてelementを四大元素と翻訳した?
17大詩人の司馬相如が五百年前司馬相如(前179-前117)から五百年後なら四世紀の話になってしまうが…。
25この物語は暦三三三七年、寅年の収繭に始まるなんだろう?三三三七年って。黄帝紀元かな。黄帝紀元もいろいろあるが、3337年で合いそうなのは西暦626年(貞観9)か639年(貞観13)だが、前者は戌年、後者は亥年だしなあ。のちに出てくるのを計算すると高宗の670年(咸亨1)かも。これは午年。
32浮かれ女の神潘金蓮の加護を潘金蓮は『水滸伝』や『金瓶梅』に登場する架空の女性ですが、宋代の人とされてるはず。
34殿試の探花に殿試は唐代にはまだない。唐代の科挙の最高試験は貢挙(礼部試)。
43安陽の甲骨文より古い甲骨文字の発見は1899年の劉鶚による。安陽殷墟の発見は1911年。発掘開始は1928年。李高老師が知るはずはない。
46凌遅の刑かと思うたが「凌遅」の刑が行われるのは五代以降と思われる。
53高祖娘子隋末唐初にそんな人物いません(笑)。文帝の妃にも似た人物はいない。このページからの李高老師の昔話は嘘八百です。武則天の通俗的イメージの投影か?
53末の皇子を除いてひとり残らず首をはね、その弱虫を皇位につけて煬帝となし煬帝は文帝と独孤皇后の間の次男で、末っ子ではない。文帝の末子は漢王楊諒。廃太子の楊勇以外の兄弟は煬帝即位で殺されていない。
54手を下したのはすぐれた武人だった李世民の支持者たち煬帝を殺したのは隋臣の宇文化及・宇文智及らで、李世民の支持者ではない。
57張居正の詩にいう張居正は明の万暦帝に仕えた人。語り手の十牛くんが知るはずはない。
73獅子国に追放よ獅子国はシンハラ(今のスリランカ)だが、そんな追放刑(または左遷)は隋代にあるはずがない。
79高なんて州はありゃしないいやありますけどね。高州(広東省高州市)。
82火薬に以下の物質を初唐には黒色火薬はまだ発明されてないと思うが…。ただし、七世紀に孫思邈が硝石と硫黄の混合物がはげしく燃えることに言及している。
85そのまた奧に李自珍の『本草綱目』全五十二巻のうち李自珍(1518-1593)の『本草綱目』は、万暦六年(1578)に成ったもの。侯恐妻が見られるはずもない。
89『女子箴図』は、おおせのとおり『女子箴図』は東晋の顧ト之(344-406)の作。
141子年の二四四七年、最初に帝国をうちたてた初代秦王への秦王政(始皇帝)が中国を統一し、はじめて皇帝号を用いたのは、紀元前221年で辰年なんだが。
142寺や坊さんや信者たちは同じく火中に投じられた。始皇帝のころ、仏教はまだ伝来してません。焚書坑儒をずいぶんと脚色してるようで。
143帝国を象徴する立派な金の仮面を作らせ……(笑)。あえていうなら巨大な金人を作らせた話が知られてるけど。
144いくつもの王朝が交代するのをしりめに、秦王ばかりは秦が始皇帝以来三代で滅んだとか言っちゃダメなのね…。たぶん。
235それと火薬を火薬を発明したのは、後漢の張衡(78-139)ではない。
235大張衡はすぐれた詩人であり、絵師であり、比類ない技師兼天文学者であり、飛行現象学にかけては世界最高峰買いかぶりすぎ。張衡が「両京賦」「帰田賦」を作ったり、渾天儀(天球儀)や侯風地動儀(地震計とされる)を作ったのは本当だが。
235円周率の値を決め張衡も円周率に言及したらしいが、前漢に成立した『九章算術』のほうが有名。ちなみに『九章算術』に注釈をつけた魏の劉徽は円周率を3.1416と見ている。
235人間が遠くまで空中を飛べる凧を作ったこんなのを真に受けてはいけません。
237それが驚異の竹とんぼだ……。
247仏教徒のおとぎ話にでてくる美しい竜宮城を行くみたいだ海中の竜宮の話は中国の民間信仰系の説話であって、仏教系のものではありません。
248蘇東坡がその主題でおもしろい論文をなぜ李老師が北宋の蘇東坡(1036-1101)を知ってるのでしょう?
249その場合この人物は李鉄拐、八仙の第四席だ唐代の人が八仙を語るかねえ…。
271老名妓の物語『琵琶行』を歌い出した「琵琶行」は中唐の白居易(772-846)の作。
271好色文学の『金瓶梅』を陽気に語りはじめた『金瓶梅』は明の万暦年間(1573-1620)の成立。
273曹雪芹や高貢のような文人たち曹雪芹(1719?-1763)は清の人。高貢は不明。
275すると彼女は梅妃の最期の言葉をつぶやいた梅妃って玄宗の妃だよねえ?
333楊万里が基準をさだめて以来楊万里(1127-1206)は南宋の人だから、李老師が知るはずはない。
387七月七日、辰の年、三三三八年に帝国じゅうが腰を抜かした三三三七年が寅年なのに、なぜ翌年が辰年になるんだ?

 『鳥姫伝』の続作には、『霊玉伝』−原題は"The Story of the Stone",Barry Hughart,1988−と、『八妖伝』"Eight Skilled Gentlemen",Barry Hughart,1991の2作があります。
 やはり痛快な作品であると同時に、矛盾点も多くあります。でも中国をよく知ってないと書けない中華ファンタジーなんですよね。


コラムページのトップへもどる
ホームへもどる